BANANA FISHを観ました

※私の私による私のためのスーパー自己満感想記録です※
感情のままに書き綴っていくので乱文上等・ネタバレオンパレードな上にちょっと過激な表現が出てくるかもしれません。それに加えて情緒がだいぶ不安定、そして果てには同性愛的な観点から作品について触れている部分も少しだけありますので、お読みになる方は自己責任でお願いいたします。
夢小説のサイトで何やっとんじゃオドレェて感じですが、すみません、吐き出さずにはいられないので許してください。

以下長文感想

Twitterでも散々喚き散らしていたんですけど、日曜日の夜から月曜日の朝にかけてずーっと『BANANA FISH』というアニメを観ていました。徹夜で一気観しました。
原作自体が不朽の名作と呼ばれているようなのでご存知の方も多いと思うのですが、私はこれまで原作もアニメも知らない勢でした。少し前にお友達から『BANANA FISH』について教えてもらい、おもしろそうだったのでU-NEXTのマイリストに登録しておいたんです。
そして日曜日の夜、なんだか無性に映像作品が観たくなってマイリストを漁っていたら、登録してあった『BANANA FISH』が出てきまして。せっかくだから観てみるかーと軽い気持ちで観始めたんですけど、それが元気な私の最期の姿でした…。

正直、知らないままでいたかった作品でした。というのも、観終わってから、ずっと胸を締めつけられるような気持ちが消えないからです。ネガティブな感情なのかもしれないし、ポジティブなものなのかもしれない。そんな複雑でぐっちゃぐちゃな感情がずっと残っています。物語の結末を思い返すたびに、やりきれない気持ちと温かい気持ちが混在して、泣きそうになって、あの『BANANA FISH』の主人公たちに思いを馳せずにはいられないです。

名作って本当に名作なんだなぁと思いました。どんな形であれ、人の心に消えない爪痕を残すようなとても強い意志を、作品から、そして登場人物たちから、ひしひしと感じました。しばらく余韻から立ち直れそうにないです、たぶん。
こんなにも気持ちがぐちゃぐちゃしてしまっているのって、たぶん、あの作品を観ている時、私が英二とアッシュ、正反対な二人のキャラクターに同時に感情移入していたからなのかもしれないです。それくらい丁寧に繊細に、二人の心の機微が描かれていました。アッシュの感情も、英二の感情も、よく伝わってきました。だから、結末をどちらの気持ちで受け止めたらいいのか、感情の整理がつかない。そんな感じなんだと思います。

アッシュの視点に立ってみると、あの結末は間違いなくハッピーエンドだと思いました。
英二の見送りに敢えて行かなかった気持ちもなんとなく理解できます。英二とアッシュは住む世界が違うから、友達だから、守りたいから会いにはいかない。きっとあの時アッシュが英二の見送りに行っていたら、アッシュは英二の帰国を阻んでしまっていたかもしれないと思うんです。でもそれは、それまでの物語で散々語られてきたように、お互いにとってベストな選択じゃない。一緒にいたいと望んでも、一緒にいない方が最終的にはお互いを守ることに繋がるから、そしてアッシュはそれをよくわかってるから、行かないという決断をしたんだと思います。切ない決断です。それにアッシュはもう、最終決戦の前に英二に「サヨナラ」を伝えていましたし、それに対して、英二も「行け」と力強く応えていました。あれはきっと英二にとっても、アッシュの命がどうなるのかは別としても、もう二度と彼には会えないだろうと理解し覚悟した上での叫びだったのかもしれません。
そしてラストシーン。最期の瞬間にアッシュが穏やかな表情をしていたことに、正直安心しました。彼は誰かを憎みながら死んでいったわけではないから。死の瞬間、アッシュの心の中は、かけがえのないたった一人の少年(英二)と、彼とともに二人で築いた〝二人だけの世界〟で満たされていたと感じるからです。
これでやっと、もう誰も殺さなくて済む。誰にも命を、身体を狙われなくて済む。銃を持たなくて済む。大切なひとを失わなくて済む。ただの少年に戻れる。そして、やっと、英二のそばにずっといられる。片時も離れることなく。私の感じたものは間違っているかもしれません。けれど、もし私がアッシュ・リンクスだったら、きっと、最期はこんな気持ちになったと思います。
なんのしがらみもない世界で、英二とアッシュだけの(精神)世界で〝生きて〟いける。アッシュが選んだ〝幸福な破滅〟は、〝破滅〟だけれど〝幸福〟であることには変わりないし、破滅の後はアッシュにとってこの上なく幸福な〝魂としての生(英二の中で永遠に生き続ける)〟が待っている。
アッシュはたくさんのものを失って、たった一つのかけがえのないものを得た。それが幸せなことなのか、不幸なことなのか、その判断はアッシュ自身にしかできない。とはいえ、アッシュが最期に安らかな表情をしていたのは、あの結末がアッシュにとっては紛れもないハッピーエンドだったからだと、私はそう信じています。

一方で、英二の視点に立った時、アッシュの死は悲しみ以外の何ものでもないと思います。紛れもないバッドエンド。
どうしてアッシュが死ななくちゃいけないんだ。彼はたしかに人をたくさん殺したけれど、彼にそんな道を歩ませたのはこの腐った社会なのに。彼が一番の被害者なのに。アッシュは望んで銃を手にしたわけじゃないのに。あの手紙を書かなければ、あの時図書館に向かっていれば、アッシュの運命を変えられたかもしれないのに。英二の視点でアッシュの死を知ったら、きっと私はこんなふうに悔しさとやりきれなさでいっぱいになると思います。
アッシュはいつものように、黙って一人で逝ってしまった。自分の知らないうちに。まるで死に際を見せない猫のように。物語全体を通して英二が心からアッシュに求めたのはたった一つだけでした。〝なんでも話してほしい、アッシュのことを知りたい〟。けれどやっぱり、アッシュは最期まで、英二に全てをさらけ出そうとはしなかった。英二を守るために。英二の幸せを願っていたから。もしアッシュが最後にもう一度「そばにいてほしい」と英二に伝えられていたなら、英二はきっとこれまでのように自分の身の安全なんて一切気にせずアッシュの願いに応えていたと思うんです。それがきっと英二にとっての幸福でもあるから。でもアッシュは、それを知っていながら、それをよしとは思わなかったのでしょう。だから何も言わなかった。会いに行かなかった。
英二はアッシュが見送りに来なかった理由をちゃんと理解していました。アッシュが現れないことを知っていたから、手紙を、返事を期待しない手紙を書いて、それをシンに託した。ただ願わくば、アッシュが望むなら、一緒に日本に連れて行きたかった。そして、もう彼が銃を握らなくてもいいようにしたかった。だから日本への片道チケットを用意して、それを同封した。来ないことを知っていながら、英二はやっぱり、アッシュに来てほしいと思っていた。そして何事もなければ、きっとアッシュはそうしていた。でも結局、報われることはなかった。

二人の間に芽生えたものは、紛れもなく〝愛〟だと思っています。親愛、羨望、畏怖、憧憬、悲哀、庇護欲、安心などなど、色んな感情が一つになって、二人の中で〝愛〟として形成された…そう思います。その愛に恋心が含まれていたのかどうかは定かではありません。もし含まれていたのだとしたら、それは本物の恋心だったとも言えるし、危険と隣り合わせの状況が生み出した錯覚の恋心だったとも言えると思います。二人ともきっと本来はストレートなんだと思いますが、二人は〝人〟として、お互いに恋をしていたのかもしれません。お互いがお互いにとって特別な存在。性別も国籍も関係ない。ただ〝住む世界〟が違っていただけ。でもたったそれだけのことが、何よりも大きな、超えることのできない障害だった。それが二人の関係なんだと思います。

それでも、こうして文字に起こすことで、ちょっとずつ私の感情にも整理がつき始めたように感じます。アッシュと英二、二人の視点になって感じたことを言葉にしたら、それだけでなんとか私自身(第三者)の視点に戻ってくることができたような、そんな感覚です。
『BANANA FISH』の登場人物はみんな魅力的です。もちろんいけ好かない悪役たちもいましたが、でも逆に、彼らがいなかったらアッシュと英二、そして仲間たちの関係性や生き様にここまで魅了されることはなかったと思います。光と影は表裏一体。それぞれ形は違えど、人間はみんな光と影を抱えて生きている。それとどう向き合うか、はたまた向き合わないのか、それを決めるのはいつだって自分自身。
正直、アッシュには生き延びてほしかったです。でもなぜか、アニメを観終わった私の中に浮かんでくるのは、英二を照らす永遠の光としてのアッシュだけなんです。寄り添い合って共に生きる二人の未来の姿が浮かんでこないんです。心ではそうなることを望んでいるのに、頭ではそれが叶わないことだと理解していて、すごく変な気持ちです。まるで、心は英二に、頭はアッシュになったみたいで、相反する二つの思いが私の中に同時に存在していて、とても苦しいです。だから、この作品を知らないままでいたかった。でも、出会えてよかったと心から思っています。

あーすっきりした!!!これからもこうして何かに感動できることの幸せを忘れないように生きていこうと思います。最後まで読んでくださった方がいるかはわかりませんが、どうもお粗末さまでした。