アカンサスの便り

「デンジ! ビッグニュースだ!」
 勢いよくジムの扉を開けたのは、派手なアフロヘアが特徴的な、オレの友人だった。友人ことオーバは、えらく興奮した様子で肩を上下させている。
「どうしたんだよ? ビッグニュース?」
「ああ! おまえ、嬉しすぎて泣いちまうかもしれないぜ!」
「はぁ?」
 それほど大層な報せなのだろうか。
 オレはメンテナンス作業を中断し、オーバのそばに寄った。オーバは一度、胸に手を置いて深呼吸をし、息を整えた。
「で? なんだよ、そのビッグニュースって」
「ああ……あのな……」
 オーバの真剣な面持ちは、緊張感を孕んでいた。それにつられ、誰に言われるでもなく自然に、オレの背筋が伸びた。
「……ナマエ……」
「えっ――」
「ナマエが……帰ってきたんだ!」
「……ナマエ、が……?」
 それは、まさしく朗報だった。
 手にしていたスパナが、不意を突いて逃げだすポケモンのように、スルリとオレの手から滑り落ちた。スパナはそのままコンクリートの床にぶつかり、その場に高く硬い音が響く。
 ――ナマエが、帰ってきた……。
 オレは胸中で絶えず繰り返していた。
 ナマエは、ポケモンの生態を調査する研究者であり、三年前からオレの恋人でもある。でんきポケモンの生態と、ポケモンが生み出すエネルギーの関係を調査するため、遠くの地方まで無期限の旅に出ていたのだ。それが、連絡の一つもなしに、突然、帰ってきた、だなんて。
「――お、おい、デンジ!」
 オーバの制止を無視し、オレは夢中でジムの外へ飛び出した。目指す場所はただ一つ。海だ。あの海は、二年前にナマエを見送った場所だった。
 ――そうか、ナマエが旅立った日から、もう二年も経つのか。思い返せば、最初はそれなりの頻度だった連絡も、お互いの忙しさゆえに、いつの間にかなくなっていた。その結果、オレは、自分の中にあったナマエへの想いが、少なからず冷めてきたように感じてしまっていた。
 しかし、今回の報せを受けて、オレは確信したのだ。
「……ナマエっ……!」
 実際のところ、オレの気持ちは、二年前からこれっぽっちも変わっていなかった。オレは今でもナマエが愛しい。恋しい。ナマエ帰郷の朗報を聞いた今、オーバが懸念していたように、オレは嬉しさで泣いてしまいそうだった。
「デンジ! ちょっと待てよッ!」
 後方からオーバの声が聞こえる。
 しかし、オレは振り返ることなく、海岸を目指し走り続けた。
 海が見えてきた。大人しい水面が、沈み始めた夕陽に照らされて、キラキラと輝いている。
 近づくにつれて、海岸線の手前、柔らかい砂の上に、人影があることがわかった。
「――デンジ!」
 影が動いた。そのときに聞こえた声は、オーバのものではなく、けれどたしかに聞き覚えのある、とても懐かしい声だった。オレが今、心から欲して止まない、あの声だった。
「ナマエ!」
「わっ!?」
 オレは、ついに影――恋人の姿かたちを捉えると、子供のように飛びついた。倒れ込んだオレたち二人を、ナギサの砂浜が優しく受け止めてくれた。
「ナマエ……!」
「ちょっと、デンジ……重いよ……」
 オレの下で困ったように笑う恋人は、髪型以外は二年前とほとんど変わらない姿をしていた。オレのよく知っているナマエが、今、ここにいる。オレは目元が熱くなるのを感じた。
「……会い、たかっ……く……」
 みっともないのはわかっているが、どうしようもない。
「えっ、デンジ? 泣いてるの?」
「っ、うるさ……」
「おー、よしよし。泣かないで、ね?」
 溢れた感情は、もう止められない。そんなオレの頭を、ナマエは優しく撫でた。
「もう、どこにも……行くな……」
「うん。もうどこにも行かないよ。デンジと、ずっと一緒にいたい」
 オレの下敷きになっているナマエをきつく抱きしめると、ナマエは「苦しいよ」と言いながらも、そっと抱き返してくれた。
「……連絡……」
 ナマエが呟くように言った。
「しなくて……ごめん、ね」
「……おう」
 ナマエの言う『連絡』が、オレたちがどちらからともなく絶ってしまった『連絡』のことなのか、はたまた今回の帰郷についての『連絡』のことなのか、もうこの際、そんなことはどうでもよかった。
 ナマエは帰ってきた。その事実だけが、オレには充分だった。
「おかえり……ナマエ」
「ただいま、デンジ」

2015-06-20 BACK