「ダイゴ! 聞いてほしいことがあるの!」
ホウエン地方ポケモンリーグ・チャンピオンの間で嬉しそうに声を張り上げたのは、チャンピオンの恋人であるナマエだった。
当のチャンピオン、ダイゴはというと、唐突な恋人の来訪に目をぱちくりと瞬かせている。
「ナマエ? どうしたんだい、わざわざこんな所まで来るなんて。四天王のみんなもよく通してくれたね」
「何言ってるのよ、ダイゴ! わたしがリーグのルールを無視してここまで来たとでも?」
「四天王は全員倒したわよ!」と声高らかに言うナマエのその言葉を受け、ダイゴは笑顔を浮かべた。そして嬉しそうにナマエに駆け寄ると、彼女の両手を優しく握りしめた。
「さすが、ボクの選んだ女性だ! 律儀で、それでいて強さも兼ね備えている!」
「うふふ! ダイゴに会うためだもの! どこまででも勝ち進んでみせるわ!」
一瞬で背景をカラフルな花畑に変えてしまった二人であったが、ふと、ダイゴは思い出したように言った。
「そうだ、ナマエ。ボクに聞いてほしいことがあるんだったね」
ダイゴのその言葉に、ナマエははっとしてダイゴの手を振りほどいた。そして、解放された手でバッグをごそごそと漁り、一枚の紙を取り出すと、それを恋人の目の前に突きつけた。
「じゃじゃーん!」
「……キンセツ、ヒルズ……契約書!?」
「うふふ! そのとおり!」
誇らしげにナマエが掲げたもの。それはどこからどう見ても、正真正銘、紛れもなく、キンセツヒルズの物件契約書であった。名義はもちろんナマエである。ダイゴは、驚きを隠せないといった様子だ。
「随分と思い切ったことをしたね、ナマエ。高級マンションじゃないか」
ダイゴ自身はデボンコーポレーションの御曹司であるが、恋人のナマエは至って普通のポケモントレーナーである。否、トクサネシティのジムトレーナーをしているため、『普通』よりは少し稼ぎがあるのやもしれないが。
とにかく、ナマエが高級マンションの一室を買えるほどの資金を有しているだなんて、ダイゴは予想だにしていなかったのである。
「わたし、ここに住むことに憧れて、ずっと貯金をしていたのよ。そしたら、一室だけ格安物件があるっていう話を聞いてね」
嬉々として語るナマエは、契約書を見つめてうっとりとした表情を見せた。ダイゴも嬉しそうである。愛する恋人の喜びは、ダイゴの喜びでもあるのだろう。
「ラッキーだったわ。こんなに安くキンセツヒルズに入居できるなんて、本当に夢みたい」
「入居日はいつだい?」
「今日よ! ミナモからの荷物がそろそろ届いてるころかも」
それを聞いたダイゴは勇んだように「こうしちゃいられない!」と声を上げ、身支度を整え始めた。そんなダイゴを不思議そうに見つめて、ナマエは瞬きをする。
「どうしたの、ダイゴ?」
「引っ越しの荷物が届くんだろう? 手伝うから、一緒に荷解きしよう」
「でも、いいの? リーグは?」
「心配いらないさ。実は、ちょうどヒマしてたところなんだよ」
微笑むダイゴに、ナマエは薄く頬を染め、嬉しそうな笑顔を浮かべた。
ダイゴはナマエの手を引く。二人は軽やかなステップを踏むように、ポケモンリーグを飛び出した。エアームドの背に乗り大空へと羽ばたく二人。その光景を目撃したあくタイプ使いの四天王、K氏はのちにこう語る。
「花畑が見えたんだ! いやぁ、チャンピオンがくさタイプの使い手に転向していたなんて、全然知らなかったぜ」
空中ロマンスののち、ダイゴとナマエは無事にキンセツヒルズへ到着した。
「あぁ、本当に夢みたい……! ここの十六号室が、今日からわたしの新しい家になるなんて!」
「愛するナマエの念願が叶って、ボクも嬉しいよ。それじゃあ、さっそく入ろうか!」
仲良く手を取り合って、二人はエレベーターに乗り込もうとした。
――しかし。
「うわぁッ!?」
「ダイゴ!? 大丈夫!?」
開いたエレベーターからものすごい勢いで出てきたゴーリキーたちに、ダイゴがぶつかった。
言わずもがな、人間とかくとうポケモンの力の差は歴然としており、ダイゴは見事に押し倒されてしまう。そんなダイゴに目もくれず、ゴーリキーたちは必死の形相で逃げるように走り去っていった。
「いたた……」
「大丈夫? ダイゴ、立てる?」
「あぁ、なんとか……」
ナマエに支えられて立ち上がったダイゴは、倒れた際に強打した腰をさすりながら、ゴーリキーたちが走り去った方向をいぶかしげに見つめた。
「ダイゴ? どうしたの?」
不安げにダイゴを覗き込むナマエ。その様子にはっとしたダイゴは、彼女の不安を取り除くように、その大きな手をぽん、とナマエの頭に置いた。
「大したことではないよ。ただ、ゴーリキーたちの様子が少し気になって、ね」
「たしかに……何かあったのかしら?」
「さぁね……。とにかく、ナマエ。早く荷解きを済ませてしまおうか」
その言葉に、ナマエは満面の笑みを浮かべ、改めてダイゴの手に自分の手を重ねた。二人は今度こそエレベーターに乗り込み、ナマエが夢にまで見たキンセツヒルズの十六号室を目指したのだった。
「ここよ!」
エレベーターを降りたナマエが嬉しそうにダイゴを案内した一室は、その隣や向かいの物件となんら変わりのない、普通の一室だった。
「鍵は?」
「荷物搬入のために一度引っ越し業者さんに渡したから、きっとここに……あったわ!」
あらかじめ打ち合わせをしておいたのだろう。部屋の鍵は、ナマエの予想に反することなく、ドア横のポストに入っていた。
「ダイゴ、記念すべき第一歩を、一緒に踏みだしてくれないかしら?」
「もちろんだよ、ナマエ」
鍵を持つナマエの手を、ダイゴは両手で優しく包み込んだ。引っ越して初めての、共同作業である。
カチャリ。小さな音を立てて、十六号室の鍵は開かれた。ドアの向こうにあるのは、整えられた玄関だろう。二人はそう信じて疑わなかった――が。
「な、なんてこと……」
「これじゃあ、入るだけで一苦労だな……」
その小さな期待は、無情にも裏切られてしまった。ドアの向こうにあったのは、玄関いっぱいに積み上げられた荷物の山だったのだ。
このとき、家の中で待ち構えている不穏な存在のことなど、二人は知るよしもなかったのである。
2015-05-07 BACK