友達申請の続き
日が落ちた。月が夜道を照らす中、わたしは小さな灯りと共に、これまた小さな地図に示された場所を目指し歩いていた。
普段は仕事のために機動性を重視した服装をしているから、今夜のために大慌てで見繕った洒落着は、着慣れていないぶん歩きにくい。とはいえ、あのお方に会うのに、勤務外でも見すぼらしい格好を晒すわけにはいかない。これはきっと、天からわたしへ与えられた、一つの試練なのだろう。
例のお屋敷。その前を通り過ぎる。そろそろ目的地に着く頃だ。
「……あ!」
お屋敷を通り過ぎて少し行くと、小さな公園が見えた。近くには小川が流れているのか、さらさらと水の気配も感じられる。そして、あのお方が――和泉守さまが、いた。
「よお、嬢ちゃん」
「こ、こんばんは」
和泉守さまとこうして、お店の外で会うことになるなんて、今朝までのわたしは夢にも思わなかったことだろう。生きていれば何が起こるかわからないものだ。
公園内に植えられたいくつかの桜の木は、満開とまではいかないものの、それでも花見を楽しむのに充分なくらいには、美しく開花していた。――わたしの目に映る光景で一番美しいのは、月明かりに照らされた和泉守さまなのだけれど。
「まさかほんとに来るとはな」
「せっかくお誘いいただいたので……」
男性の唐突な誘いに乗るなんて、だらしない女だとでも思われやしないだろうか。今更ながら心配になってきた。
「そりゃご丁寧にどーも」
わたしの不安は杞憂であるとでも告げるように、何を気にする様子もなく、和泉守さまはどかりと地面に腰を下ろした。わたしもつられてそばに膝をつく。適度な短さに整えられた青草が、それを受け止めた。
「あの、和泉守さま。お聞きしたいことがあるのですが」
「なんだ」
「その……どうして、今夜、わたしを誘ってくださったのですか」
こんなことを聞くのは、無粋だろうか。
「あー……それはだな……なんつーか、友達になれんじゃねーかと思って……」
「え……友達、ですか?」
なんだか意外な返答だった。和泉守さまの口から〝友達〟という言葉が出てくるなんて。
「いや、もちろん、オレにだって仲間はいるぜ? 相棒と呼べるくらい親しい奴もいるんだが……」
「は、はあ……」
話がよく見えてこない。それは和泉守さまも同じようで、何から話せばいいのか、といった様子で、わしわしと頭を掻いていた。
「あんたは仕事柄、妙なことを色々知ってるだろ。だから、もっと馴染みになりてーと思ったんだよ。そしたら、オレの相棒が〝友達になってもらえるように頼んでみたら〟とか言うからさぁ……」
「な、なるほど……?」
とどのつまり、和泉守さまは、どういうわけかわたしに興味を持ってくださり、友人として親しくしていきたいと思ってくださった、と。そういうことで良いのだろうか。
「でも、どうしてお花見だったんですか?」
「そんなの、オレだってわからねーよ。屋敷の奴らが〝花見に誘え〟つってうるさかったもんだから、とりあえずそれに従ったってだけだ」
「そ、そうですか」
なんだかよくわからないけれど、少なくとも物事がわたしにとって嬉しい方向に進んでいるということは、事実のようだ。
「悪かったな、突然誘っちまって」
「い、いえ、そんな! 嬉しかったですよ」
「そ……そうか。そりゃ結構」
風が吹いて、和泉守さまの長くて美しい髪の上に、桜の花びらを舞い散らした。点々と薄桃色の粒を纏ってもなお、その髪の艶めきが花の美しさに勝って見えてしまう。
「綺麗……」
思わずそう呟いた時、和泉守さまの凛とした視線が、真っ直ぐにわたしへと注がれた。
「……ああ、綺麗だ」
和泉守さまの手がそっと伸びてきて、わたしの横髪に触れた。途端に身体がかっと熱を持つ。和泉守さまの指がわたしの髪を梳かすと、それに伴って、その指先が微かに頬を撫でつけた。
「あ、あの、和泉守、さま……」
「ほらよ」
「え……」
胸の高鳴りと身体の火照りで、意識までどうにかなってしまいそうなわたしの目の前に差し出されたのは、小さな桜の花びらだった。
「ついてたぜ」
「あ……ありがとう、ございます……」
なんだ、髪についた花びらを取ってくれただけだったのか――と、なぜか落胆する自分を、不思議に思う。わたしは、何かを期待していたのだろうか。それに、和泉守さまの、先ほどの言葉は――。
「なあ」
「は、はい!」
「……綺麗だよ、今夜のあんた」
小さな音で耳に届いたその言葉は、心地よくて、けれどなんだかくすぐったい感じがした。
ふいとそっぽを向いてしまった和泉守さまの表情をうかがい知ることはもはやできないものの、風に揺れる美髪の隙間から少しだけ見えた耳元の朱色を、月の光がわたしにそっと教えてくれている。
「和泉守さま」
「なんだよ」
「わたしたち、もう、友達ですか」
「不満だとは言わせねーぞ」
「はい。言いません、もちろん」
桜の花が一ひら、和泉守さまの横髪に舞い落ちる。その桜目がけて伸ばしたわたしの震える手を、和泉守さまは拒絶しなかった。
2021-03-28 BACK